またも、本の紹介です。ここは本の紹介ブログではなかったはずですが、最近ちょっと多いような気がします。
しかし、重要な関心テーマのようなので、あえて書いておきたいと思います。
東日本大震災を契機に大きく社会問題化したいくつかのテーマについて、科学社会学や科学技術社会論(Science, Technology and Society, STS)がどのような役割を果たすのかについて書かれています。
科学社会学やSTSについては、以前のエントリーでも少し触れたことがあります。最近のことだと思っていたら、5年も前だったんですね。
科学では回収できない問題
東日本大震災、特に福島第一原子力発電所事故後、未曾有の危機に専門家は混乱し、異なる科学的見解が流布されていきます。そして世間はどう判断してよいかわからず、戸惑っていました。
震災前や震災当初、科学やその専門家が正しい答えを指南してくれるはず、そう信じていた人が多かったことでしょう。
しかし、それは大きな間違いでした。
事故が起こっても何とかしてくれるはず、大変な事態にはならないだろう、という科学やその分野の専門家に対する絶大な信頼感が、原発産業を支えてきたといっても過言ではありません。
その根拠なき信頼感が、崩れ落ちてしまいました。
今となっては、科学やその専門家に頼っていては解決出来ない問題がたくさんあることを、人々が認識できるようになってしまいました。
この本では、「科学に問えるが、科学に答えることのできない問題」、いわゆるトランスサイエンス的問題について、具体的な事例をいくつも挙げて論考しています。
ひとつの例として、放射能のリスク、特に低線量域の線形閾値なしモデル(LNTモデルまたはLNT仮説)について、このように書かれています。(一部抜粋)
- LNTというモデルの性質上、「基準値」を決めるためにはどうしても、「人工放射能のために、罹らなくてもよかったはずのがんに罹る人が、この先、何人出現することをこの社会は許容するのか(社会的受忍レベル)」というパラメータが必要になる。
- ところが、これは決して科学的に決まる数値ではなく、まさに政治的な問題であることは自明である。
- そもそも低線量域のモデルについて専門家の間で論争があり、また仮にLNTモデルで合意できたとしても科学だけでは基準値を決められない、という二つの意味において、この問題は典型的なトランスサイエンス的課題である。
客観的データを利用し、どの程度のリスクがあるかを示すことまでが、科学の役割でしょう。 しかし、社会がどの基準値を採択するかは、社会の許容度によって政治的に決められることであり、科学が決断することではありません。
同じようなことが、医療現場でも起きているように思います。
専門知が不足している人は適切な判断ができない、専門知がある人が適切な判断ができる、とする立場の「欠如モデル」が医療現場でも蔓延しています。そのため、科学だけでは答えられない問題や科学が取り扱うべきではない問題にまで、科学のフレームで回収しようという力が働いています。
本来、医療は医学的に決められることではありません。
社会的文脈は、個別の治療方針の決定についても、影響されています。科学のフレームで無理に回収しようとしていないか、トランスサイエンス的問題にどう対応するか、臨床の場で少し意識してみたいと思います。