サイエンスカフェはサイエンスか

 

メディカルカフェ

 先日、「地域医療ジャーナル」に掲載されたインタビュー記事で、「メディカルカフェ」という企画を取り上げました。

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 大学生を中心とする趣向を凝らした企画ですが、これは「サイエンスカフェ」に位置づけられる活動になると思います。「サイエンスカフェ」には以前から関心があり、ブログ記事でも取り上げたことがありました。

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 この記事で紹介させていただいていた本を、あらためて手にとってみました。2010年の記事でしたから、記憶もおぼろげなものでした。

科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)

科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)

 

 

ガバナンスへ 

 サイエンスカフェはこの第2章「統治」から「ガバナンス」へ、で取り上げられています。ぜひ原著をご一読いただきたいですが、備忘録として概要を少し引用させていただきます。

  • 社会全般における物事の決め方が、政府主導で行われる「統治」から、政府や地方自治体だけではなく、民間企業やNGO/NPO、ボランティアの個人やグループなどの多様なアクターが対等な関係でつながり、協働や競合しながら公共的な問題を解決していく「ガバナンス」へ変化しつつある。
  • 科学技術の分野でも、従来は政府と一部の専門家、研究者や研究機関、大学、学会、民間企業などが物事を決めてきたが、2000年前後から変化がみられてきた。
  • 日本で転機となったのは1995年である。(後述)
  • こうした背景から、双方向的なリスクコミュニケーションが注目されるようになった。専門家から一般市民に情報をわかりやすく伝えるという従来の一方向的なスタイルから、両者の対話や協働などが行われる双方向的なスタイルへ変化しつつある。
  • 非専門家である市民や当事者が参加することで、専門家や政策決定者だけでは見えてこない多様な問題点や課題が明らかになる。
  • 英国では1996年、BSE(牛海綿状脳症)危機を契機に、食品やテクノロジーの安全性を保証するはずの科学が信用されなくなった。消費者は、政府や企業が自分たちの利益を守るために消費者の健康を犠牲にしているのではないかと疑念を抱くようになった。「信頼の危機」とよばれる。
  • 英国の「信頼の危機」のなかで誕生した公共的関与の代表的な取り組み例が「サイエンスカフェ」である。
  • 1998年に英国のリーズで、ジャーナリストのダンカン・ダラスらが始めた「カフェ・シアンティフィーク」や、それより少し前にフランスで始まった活動などが発端。日本でも2004年ごろから急速に広まり、年間1000件近く開催。
  • 専門家の話題提供が中心となるのではなく、一般市民の参加者の議論と意見交換が中心となること。サイエンスカフェの目的は、科学的事実を伝えることではなく、問いを提示することである。

 

 サイエンスカフェとは、カフェという雰囲気や空間を利用しながら、専門家も一般市民もお互いから学び合う関係になること、フラットで多方向的な対話と相互学習の場を作り出すことに主眼が置かれた活動ということになるでしょう。

 著者の平川さんは、こうしたガバナンスが求められるようになった背景には、

  • 科学の不確実性が増大していること
  • 科学技術が社会のなかの利害関係や価値観の対立と深く関わるようになったこと

などを挙げています。

 

1995年という日本の転機

 この章では、日本においては1995年に転機が訪れたことが指摘されています。20年が経過した今、あらためて時代の転換点があったと認識できますが、ここで一部引用しながら、できごとを整理しておきたいと思います。

1995年
 1月17日 阪神淡路大震災
 3月20日 地下鉄サリン事件
 秋ころ 薬害エイズ問題
 12月8日 高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩事故
1996年
 2月 菅直人厚生大臣(当時)が被害者らに謝罪
 2月 豊浜トンネル岩盤崩落事故

 

 1994年、ロサンゼルスをノースリッジ地震が襲い、高速道路が崩落するなどの被害があった。このとき、日本政府の調査団や建築の専門家たちは「日本ではこんなことは起こらない」と口々に言っていた。しかし、翌年同じことが起こってしまった。
 理工系の優秀な若者が犯行に加わった地下鉄サリン事件は、多くの教育関係者や科学者に、日本の理工系教育には何か深刻な欠陥があるのではないかという疑念と反省を促した。薬害エイズ問題では、専門家と行政、企業の癒着構造が疑われた。もんじゅの事故は、日本の原子力技術の安全神話を打ち砕いたのだった。

 

 こうしてふりかえると、1995年とは日本の科学の信頼が損なわれるという、大きな節目となった年と言えそうです。

 しかし、その結果として、どうなったのでしょうか?

 2011年の福島第一原子力発電所事故、2012年の笹子トンネル天井板落下事故、そしてSTAP細胞論文をはじめとする論文捏造や研究不正事件など、日本にはさらに大きな危機が次々と襲ってきています。

 

科学の危機

 これらの危機の背景には、共通の問題構造が垣間見えます。根本的な問題構造は、20年が経過しても何ら変わっていないようです。

 少なくともこうした事件が次々起こっている原因が、平川さんが指摘したように、科学の不確実性が増大しているためではないように思えます。科学の不確実性は、以前からあったことではないでしょうか。むしろ、科学の不確実性が無視できないほど科学技術への依存度が高まったため、問題が大きくなりやすいのではないか、と感じます。

 科学技術は受難の時代です。こうした逆風の中、ガバナンスの重要性がさらに高まるのかどうか、それとも他の風潮が興ってくるのか、先のことはわかりませんが、問題構造が置き去りにされている限り、とてもこのまま事態が収束していくとは思えません。

 科学は今、最大の危機に瀕しています。

 

サイエンスカフェはサイエンスか?

 そのような環境の中で、サイエンスカフェの立ち位置はどのようなものになるのか、これからの動きに注目しています。

 サイエンスカフェはサイエンスなのか、それとも離れていくのか。 このような問いは愚問かもしれませんが、科学的姿勢としては追求すべき問いのように思えます。

 残念ながら、数多く開催されているサイエンスカフェについても、その科学的検証はほとんどなされていないように見えます。

 問題構造が置き去りのまま、話し合いで信頼回復ができるのか?いったん立ち止まってよく考えたい問題です。

 

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