季節は移ろう
地域医療ジャーナル、2015年10月号発行しました。ぜひ読者登録の上、ご覧ください。手前味噌で恐縮ですが、なかなかの内容になっていると思います。
扉の写真は青森の市街地です。葉先がわずかですが紅葉がはじまっていました。東京に戻ると、まだ秋は少し遠くに感じられます。季節が移りゆくことを感じます。
石庭は何の象徴か
さて、趣味としてのブロガー - 地域医療日誌 by COMET のつづき記事です。
何かを求めていない自分について、考えて(考えないで?)みることにしました。しかし、何も考えず過ごすということは、なかなか難しいものです。
ちょうど京都方面で仕事が入ったので、龍安寺の石庭でも眺めることにしました。そのできごとを、地域医療ジャーナルの編集後記にも載せています。
「みなさん、石は何個見えますか?」
「14個しか見えないかもしれませんが、実は15個あるんです。」
「石が海に浮かぶ島々や、雲海に浮かぶ山々に見えませんか。」
次々とガイドさん促されて、石の数を数えるこの国の学生たち。一度そのような見方を与えられると、意識がそこからなかなか離れなくなってしまいます。
親切な説明(教育?)が仇となり、本来の魅力を台無しにしてしまっているように感じました。
ありのままをとらえる
この体験と同時並行で目にしたとあるネット記事が、完全にオーバーラップします。
実は、かつて僕はある授業で、村上さん本人がゲストのディスカッションのリード役をしたことがあります。僕は学生に、小説の中の海底火山は何の象徴と思うかと質問したのですが、村上さんは誰かが答えるより前にいきなり口を挟み、「火山は象徴ではない。火山はただの火山だ」と言ったのを覚えています。
なぜ村上春樹は世界中の人々に「ささる」のか―村上作品の英訳者・ルービン氏、大いに語る ジェイ・ルービン(ハーバード大学名誉教授)
東洋経済オンライン 2015年09月25日
この作品の中で、海底火山の表現は印象的な場面ではあります。
火山は何を象徴したものだとか、何の比喩だとか、思わず考えたくなってしまいます。これは国語の教育効果かもしれませんが、ここに認識の落とし穴が待っているのでしょう。
「石庭は象徴ではない。石庭はただの石庭だ。」
何も考えないように、感性を研ぎ澄ますこと。そして、その中から立ち上がってくる何かをとらえること。
少しだけ体感できたように感じました。
ありのままをとらえることは、ちょっと難しい技術なのでしょう。まだまだ修行が必要です。