震災の地に足を踏み入れて

 

 郷愁の念に駆られるように思い立ち、休暇の合間に時間が少しとれたこともあって、東日本大震災から4年以上たった今、はじめて宮城県の被災地に足を踏み入れました。

 震災当時は手がけていた仕事もあり、なかなか現地に出向くことができませんでした。ただ、メディアの報道や医療支援に行ってきた同僚などの人づてに聞いた話などから、ある程度現地の状況は把握していたつもりでした。

 しかし、目の当たりにしたものは、想像以上に過酷なものでした。

 

 自然の強大な力の脅威には、ただ呆然と立ち尽くすのみで言葉が出ません。

f:id:cometlog:20150816033750j:plain日和山から海を望む(石巻市、2015年8月)

 

 病院の1階が被災した、と聞いていた女川町では、むしろ、16mの高台にある病院以外のものがほとんど流されてしまった、という表現が相応しいでしょう。

 瓦礫もほとんどなく、すっきりと整地されてしまった広大な空き地から、津波の壊滅的な被害の大きさを感じとることができました。

 当時の地域医療現場での奮闘の様子は、病院でのパネル展示からもうかがい知ることができました。

f:id:cometlog:20150816033805j:plain病院の高台から(女川町、2015年8月)

f:id:cometlog:20150816114016j:plain
病院玄関の津波到達点(⇑)

 

 高台移転の工事や道路工事もあちこちで進捗しているようでしたが、町の形さえまだ戻っているわけではありません。復興はこれからも少しずつ進んでいくことでしょう。

 いや、何をもって地域が復興したと言えるのか、復興とはどのようになることなのか、そのことに対する疑問が湧いてきます。元通りにするのは難しいでしょう。

 震災前のような日常生活が少しでも取り戻せるよう、お祈り申し上げます。 

 

 石巻市は人口約16万人のうち死者3,545人、行方不明者428人。女川町は人口約1万人のうち死者613人、行方不明者259人。(2015年8月10日現在)

 東日本大震災でお亡くなりになった方々やご遺族に心よりお悔やみ申し上げます。また、すべての被災者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 

Community Medicine Toolbox, Copyright © 2003, 2007-2019 地域医療ジャーナル