情報は多いほうがいい医療が提供できるのか?
現在取り組んでいる質的研究や最近出会った人から投げかけれた言葉が、ひっかかってぐるぐる回っています。
医療は科学や医学を理論的背景としたサービスである、という前提に立てば、厳密な科学性(科学的根拠)が求められるのは当然のことです。より正確な科学的知見(情報)、より最新の情報があったほうが、よりよい医療が提供できる、ということになるはずです。
その前提を疑ってみよう、ということです。
医療は何を追求しているのでしょうか?
幸せな人生、よりよい生活、病や苦しみのない世界、でしょうか・・・。しかし、残念ながら、幸せな人生になるかどうかは、科学的根拠(エビデンス)からは結論が得られません。エビデンスからわかることは、死亡率や病気の発症に関する情報までです。
長生きすること、死なないようにすることを目標に据えた医療を追求する限り、エビデンスは重要であり続けるでしょう。 医療が死を避けるために行使される限りにおいては、情報の質や量は追求されつづけるでしょう。そして、その先にあるものは泥沼、医療の限界に突き当たるのではないかと思います。
臨床医が求められること、医療に求められることは、死なないようにすることだけではないはずです。
情報はなくても大丈夫、今のままでいい、そんな境地がありうるのでしょうか?死を受容する基盤はどのように受け入れられるのでしょうか?
新しい医療、EBMのつづきは、その方角へ広がっているように思います。もう少し考えてみようと思います。