本屋で購入したまま「積んどく」になっていた、「現代思想3月号」を手にしました。その中で注目すべき論考がありましたので、ご紹介します。

現代思想2010年3月号 特集=医療現場への問い 医療・福祉の転換点で
- 作者: 杉本健郎,立岩真也,小泉義之,小松美彦,美馬達哉,上農正剛
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2010/02/27
- メディア: ムック
- 購入: 1人 クリック: 37回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
特集=医療現場への問い 海図なき医療政策の終焉(猪飼周平)
病院の世紀から包括ケアへ
治療医学に対する高い社会的期待、信頼性に基づく「病院の世紀」の医療。医療供給システムは医師の身分構造(専門医・一般医)と病床を医師自身が所有するか、という二つの特徴により、英国型、米国型、日本型に分類されるそうです。
日本は基本的にすべての医師が専門医であること、病床を持つことによってどの病院でも専門医療ケアが行える、というふたつの条件(病院の世紀の規律)を守ることによって医療供給システムを決定づけてきました。
病院の世紀の規律に抵触する改革は、ことごとく挫折してきました。その例として、小規模医療施設への入院制限策(48時間問題)、英国型の専門医と一般医を分離する専門医制度導入、米国型のオープン病院導入、家庭医制度導入などが挙げられています。
しかし、「病院の世紀」は今日終焉を迎えつつあります。生活モデルに基づく包括ケアシステムをどのように方向づけしていくのか、基本デザインを構築しなければならないのではないか。著者はそう主張されています。
病院から在宅へ
医療史の観点から、医療崩壊をはじめとした現代医療の現象が明確になったように思います。家庭医療や包括ケアがなぜ医療界から受け入れられてこなかったのか、そしてこれからはどうなっていくのか、大局的な視点でとらえる必要があると思います。
医療は今、分岐点にさしかかっています。これまでの「病院の世紀」のように、ただ医学部を新設して医師を増やせばいい、資金を投入すればいい、という近視眼的な方法では問題解決できません。医療は今、どのような人的資源を組み合わせるかということを含んだ、新しいモデルの提示を迫られているのではないでしょうか。
猪飼さんの新刊が出版されています。目を通しておきたいと思います。
地域へ開かれた地域医療へ
「病院の世紀の理論」著者の猪飼周平さんのインタビュー記事が2月の週間医学界新聞に掲載されていました。
注目点を抜粋してコメントしてみました。全文をぜひご覧ください。
週刊医学界新聞
第2916号 2011年2月14日
【対談】「病院の世紀」を超えて松田晋哉氏(産業医科大学医学部公衆衛生学教室教授)
猪飼周平氏(一橋大学大学院社会学研究科准教授)
(抜粋)
猪飼 消費者主権的意識に基づく急性期・高度医療への志向の問題は,つまるところtrust(信頼)の問題だと考えています。
かつての医師-患者間には権威主義的なタテの関係がありました。ですから,例えば1970年代の医療社会学においての関心事は,「医師による患者からの収奪をいかに防ぐか」でした。ただ,そういう弊害もあったにせよ,医師-患者関係には一定のtrustが成立していました。
現在は,医師-患者関係がタテからヨコへと変容しつつある。この流れが治療医学に対する社会的期待の減退へと進む一方で,消費者主権的意識と相まって「より間違いの少ない医療,より高度な医療」を求める方向に進む可能性もあります。もちろん,その論理自体に正義はあるかもしれません。ただ,そこから出来上がったものがシステムとして回っていくかというと,かなり難しいでしょう。なぜなら,消費者主権的な流れは相互不信がベースになっており,今度は医師-患者間でお互いを収奪するリスクが出てくる。社会的・経済的なコストが非常に高くなる恐れがあるのです。これは医師-患者間のtrustがより低くなっている状態とみることができます。
(中略)
猪飼 かつての治療医学の権威に依拠したタテの関係性の復権は難しいでしょう。そう考えると,消費者主権的・相互不信的な方向に向かうのを避けながら,ヨコの関係でのtrustをいかに再構築するか。そこにポイントがあるのではないでしょうか。
これはとても難しい問題ですが,少なくともひとつの有効な手段だと私が考えているのは,医療者と患者の間の長期的な関係の構築です。そういう意味では,かかりつけ医の存在が 大きい。かかりつけ医がもっと普及すれば,ある程度は解決の方向に向かうのではないでしょうか。
松田 かかりつけ医モデルをどう再構築していくかは,日本がまさにいま突きつけられている課題ですね。
猪飼 さらには,医師と患者の関係だけではなくて,あらゆる医療職と患者・利用者との関係のなかで,長期的な関係の構築が重要になってくるでしょう。一例を挙げれば,妊産婦と開業助産師の間には,妊娠から出産に至る過程で非常に強固な紐帯が発生します。ヘルスケアが産み出し得る紐帯・連帯の可能性というのはたくさんあると思います。そういった「点」をみつけては「線」につなげていくことが,ひとつの手なのではないか。差し当たってはそう考えています。
猪飼 病院にはナースステーションがあって,ナースコールや巡回で患者の状態を確認し,必要があれば医師を呼びますよね。これを地域・在宅に展開することになるのでしょうか。
松田 その通りです。何かあったときは24時間入院に結びつけることができる「地域のナースステーション」が必要になってきます。在宅療養しつつ"もしも"のときは入院できるという安心感が,患者・家族にとっても医療者にとっても大事なのですね。その柔軟な仕組みを地域でどうやってつくるか。「病院か,在宅か」という二項対立ではなく,「コミュニティケア」という発想が求められます。
地域にひらかれた病院,地域を育てる医療者
松田 広井良典先生(千葉大教授)が行った調査(地域コミュニティ政策に関する自治体アンケート調査,2007年実施)で,「コミュニティの中心として特に重要な場所は何か」という質問項目があります。結果は学校が1位で,興味深いのは福祉・医療関連施設が2位だったことです。つまり,福祉・医療関連施設にコミュニティの拠点としての機能が求められている。そこに鍵があるような気がするのですね。そのためには,病院や施設がもっと地域にひらかれることが大切です。
猪飼 確かにそうですね。コミュニティケアを推進する以上は,地域の「支える力」をどう養うかという基本設計も同時に考えていく必要があります。しかし,町内会の組織率なんて年々下がっていく一方で,「支える」基礎体力はどんどん落ちているわけです。ヘルスケア関連職がそこで果たすべき役割は大きいでしょう。
松田 北九州にある「ふらて会」理事長の西野憲史先生が「半農半患者構想」を提唱しています。高齢者は,デイケアや通院だけが社会参加になっている場合が多いですよね。そういう人たちのために福祉農園をつくったわけです。通院やデイケアがないときは,農業指導員に教わりながらその農園で働いて,採れた作物を持って帰ったり,病院の食堂で食べたり,病院の売店で売ってお小遣いを稼いだりする。病院側には収益性のないサービスですが,通院の延長線上に社会参画が生まるのです。
猪飼 ああ,なるほど。高知で始まって全国に普及しつつある「いきいき百歳体操」にも当てはまりそうですね。
松田 そうですね。「いきいき百歳体操」は公民館や集会所のほか,グループホームや病院・診療所でも実施されていますが,それ自体は施設のフォーマルサービスではない。ボランティア主体で展開し,施設は社会参画の"場"を提供しているわけですね。
猪飼 私自身はいま,保健師,開業助産師,訪問看護師など地域で働く職種の可能性について勉強しているところですが,いろんな研究ができそうな感触を得ています。現場でさまざまな事例をみて,現代的な連帯やコミュニティづくりを考察してみると,それは「楽しいことを起こす」という感覚に近いですね。
松田 楽しい,つまり同じ関心のもとに人が集まるわけですね。
血縁や地縁が薄れていくなか,社会の単位としては小さなグループが地域のなかに重層的にあるほうが望ましいと思うのです。そのときに,同じ関心を持つ人による集団活動――金子勇先生(北大教授)のいう「関心縁」がキーワードになってくる。高齢者の場合はまさに"健康"が関心縁です。フォーマルサービスを行っている施設にインフォーマルなサービスを付加することによってコミュニティを育てるという発想が,医療関係者に求められているのではないでしょうか。
猪飼 医療職がかつて取り組んできた活動を振り返ってみると,そういった種はたくさん見つかる気がしています。そこにどう意識を向けていくかが大事でしょうね。
松田 教育システム自体にそういった学習の機会が内在する仕組みが望ましいですね。
これからの医療をデザインしていく上で、たいへん貴重な視点を授かったインタビュー記事でした。
地域へ開かれた地域医療というのは、いったいどのような形なのか。これから模索していかなくてはならないと再確認できました。
そして、同時にそれは、われわれがへき地で具現化しようとしてきたことではないか、とも思います。これまでやってきた医療の延長線上に、地域へ開かれた地域医療はしっかりと見えています。
地域へ開かれた地域医療へ、これからも努力していきたいと思います。